領域概要
領域代表あいさつ
領域代表
黒田 真也
東京大学大学院理学系研究科・教授
生命は環境変化に応じてダイナミックに代謝を調整することによってホメオスタシスを維持しています。糖尿病を含むメタボリックシンドローム・がん・老化・炎症性疾患などの各種病態や薬剤応答などで見られる特有の代謝状態は、まさに生体による代謝アダプテーションの結果としてとらえることができます。代謝アダプテーションは、代謝物のみならずDNA・RNA・タンパク質の階層もまたいで密接に連動するトランスオミックなネットワークの動的リモデリングによって達成されます。
本研究では、先端的オミクス計測によるマルチオミクスデータを、階層縦断的に統合して数理モデルで解析するトランスオミクスの戦略・方法論を駆使して、代謝アダプテーションのメカニズムを包括的に明らかにすることを目的としています。本領域では、代謝物と反応は種(動物、微生物、植物)に関わらず共通であることに着目して、これまで別個の分野として扱われてきた生命現象をトランスオミクスの視点から代謝アダプテーションとして概念的に統一して理解・応用する新しい学問分野を創出することを目指します。
研究背景・目的
生命は環境に応じてダイナミックに代謝を調整することによりホメオスタシスを維持している。糖尿病を含むメタボリックシンドローム、がん、炎症性疾患などの疾患や薬剤耐性などの病理的現象で見られる特有の代謝状態は、それぞれの環境変化に対して、生体が代謝を調整してアダプテーションした結果(代謝アダプテーション)である(図1)。例えば、ヒトなどでは空腹時の血糖値は一定に維持されているが、糖尿病では血糖の恒常性が失われ持続的に高血糖となる。がん細胞では糖をエネルギーに変換する異化反応よりも、増殖に必要な材料を作り出す同化反応が亢進して高速増殖を可能にしている。逆に老化細胞では、増殖を完全に放棄して細胞体を膨大化させ、特殊な代謝状態を作り出している。アトピー性皮膚炎などの炎症疾患は、遺伝的要因と細菌感染などの環境要因に対するアダプテーションと捉えることができる。また、薬剤耐性も薬剤に対する応答を動的に変化させてアダプテーションした結果といえる。これら一連の代謝アダプテーションは、1000種類以上の代謝酵素が織りなす複雑なネットワークであり、決して静的なものではなく、正常な基底状態から時間に伴って細胞の置かれた環境に対してアダプテーションして適応状態へと遷移する動的な現象である。
一方、代謝アダプテーションは、直接的な代謝物(メタボローム)の変化だけでなく、その上位に位置するゲノム・エピゲノム・トランスクリプトーム・プロテオームの各階層を介した翻訳・転写レベルでの代謝酵素の発現量や、酵素の活性のリン酸化による制御、代謝物によるアロステリック性の制御など複数のオミクス階層が密接に連動したトランスオミクスネットワークにより制御されている。つまり、状況に応じてトランスオミクスネットワークを動的に切り替えることにより代謝アダプテーションを実現している(図1)。代謝アダプテーションは複数のオミクス階層が密接に動的に連動して機能するため、従来の個別の代謝物や分子をターゲットとした解析をパッチワークのようにつなげるのではなく、各オミクスデータを同時に計測して、マルチオミクスデータを階層をまたいで統合する技術(=トランスオミクス解析)が必要である。従来の各種オミクス計測・解析はそれぞれの階層単独で開発されてきており、階層を繋ぐことが念頭に置かれていない。メタボロームは生物種にかかわらず同じ物質であり代謝酵素も高度に種間で保存されているため、代謝経路の信頼度の高い情報が最大限に活用できる。このためオミクスデータからGWAS(Genome-Wide Association Study)のように統計的関連性を間接的に推定するだけでなく、代謝酵素反応を基に直接的な因果関係も同定できる。本研究では、まず同一条件で多階層オミクスデータを取得する。次いで、それらのデータを代謝を中心に、KEGGデータベースなど事前知識をベースにネットワークを仮説駆動型に再構築する方法と統計的な解析を主とするデータ駆動型の方法の双方を用いて解析し、代謝アダプテーションのメカニズムとその応用展開を目指す。
図1 代謝アダプテーションの実態はトランスオミクスネットワークの切り替え
研究内容
本研究では、以下の2つの密接に連携する項目を設ける(図2)。
(A01) 代謝アダプテーション | 解析対象としては、2型糖尿病モデルマウスを用いた代謝疾患の代謝アダプテーション(黒田)、がん細胞におけるWarburg効果を含む代謝アダプテーション(中山)、炎症の発症や慢性化に伴う代謝アダプテーション(岡田)、薬剤耐性の代謝アダプテーション(松田)を取り上げる。それぞれ同一条件においてサンプルを調整して、ゲノム・エピゲノム・トランスクリプトーム・プロテオーム・メタボロームの計測・解析をA02のトランスオミクス解析技術開発班(馬場、伊藤、鈴木、角田)と連携しながら行い、代謝アダプテーションのトランスオミクス解析を行う。 |
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(A02) トランスオミクス 解析技術開発 |
各階層のシングルオミクスについては計測・解析は確立されつつあるが、各階層を繋ぐためには最適化されておらず、トランスオミクスの計測・解析手法はいまだ発展途上である。そこで、トランスオミクスのためのエピゲノム(伊藤)、トランスクリプトーム(鈴木)、メタボローム(馬場)計測技術をより定量化、精密化する。また、多階層オミクスデータを統計的アプローチを用いたデータ駆動型に解析する技術も開発する(角田)。A02で開発する最新の計測・解析手法をA01の代謝アダプテーションに適宜フィードバックする。 |
なお、公募班については、A01, A02どちらも公募するが、両項目を密接に連携されるものを採択する。
本領域の組織体制の特色は、代謝アダプテーションのバイオロジーを中心とするグループと、トランスオミクス解析のテクノロジーを中心とするグループが、それぞれ縦串と横串のような関係になっており、領域内での密接な共同研究を推進する点にある。新学術領域のサイズで初めて実現可能になるプロジェクトと言える点が大きな特徴である。
図2 代謝アダプテーション解明に向けたストラテジー